ハプニング

ここ数年の体調は別に可もなく不可もなくといったところである。新型コロナやインフルにも幸いにかかっていない。頑なにマスクをしているおかげかもしれない。ふと気がつくと周囲の人々が誰もマスクをしてないという場面にもよく出くわす。

ただ慢性の腰痛には悩まされていて、2、3日に一度は病院で処方された痛み止めの湿布を腰にベタベタ貼っている。

原因は明白で長時間のデスクワークにある。あまりに長時間椅子に座っていると、立ち上がった時に腰が少し折れ曲がった状態でまるで老人のようだ。

先日、肩の部分から腰まで鉄板を埋め込んだような張りに襲われた。痛み止め湿布で誤魔化してきたツケであろうか。これはなんとかせねばと整体をさがしたものの、ネットの情報ではすごく良かったという意見もある一方でかえって悪化した、二度と行きませんとかどっちを信じてい良いかわからないものが大量にある。人によって合う合わないもあるのだろう。こういうのは知人の紹介が最強なのだがあいにく整体に詳しい知人などいない。

このようなネットサーフィンを続けていたら「メンズエステ」がヒットするようになってきた。「整体 女性 セラピスト」などと検索してしまったからであろう。頑強なおじさんに施術してもらうのもいいが、女性にしてもらいのも一興だろうなとふと思ったからである。

そこからのネットサーフィンは沼である。まあ無限にあるメンエスのサイトや情報サイト。こんな世界だったのか。メンエスファンが世の中には相当いるんだな。知らなかた。

学んだことはメンエスは基本的に性的サービスは行わないと明言している点だ。これは風営法の関係だろうか。とにかくそこを強調している店が多い。期待してくるなよ、という牽制であろう。一方で一般人のレビューサイトなどではサービスの範囲をいかに逸脱したかが評価のバロメーターとなっていておもしろい。店(嬢)と客の駆け引き。まあルール違反なのには間違いがない。

他には中国や韓国の人がセラピストの店が多いことだ。あちらの人はマッサージがうまいのだろうか?ただルール逸脱ではこの他国のセラピストがダントツであるのが伺えるし、なんなら摘発も時々あるようだ。

そうこうしているうちに比較的近所にメンエスが見つかった。レビューもそこそこによい。レビューした人によってはほぼ風俗のようなサービスだったという書き込みもあれば、普通のアロマエステです期待しないように、という書き込みもある。これもセラピストや客の期待度によって全然違うだろう。

価格は非常に良心的である。ただ低価格はそのままセラピストの容姿に反映しているようで、若い人はいないようだ。自分はその点はどうでもいいので(なんならおばちゃんでもマッサージが上手だったら大満足である)価格につられてその店に予約した。生まれて初めてのメンエスである。エロな期待は本当になく、ただ単に「女性に背中や腰をマッサージしてもらったら気持ちがいいだろうな」というやましい気持ちだけである。

長くなったので次回に続く。

減退

欲望の大波に翻弄されることも少なくなってきたような気がする。

欲求が高まる頻度がかなり少なくなっている。これは年齢によるものかもしれない。

正直な気持ちとしては、開放された感がありすごくいい。年中そのコトばっかり考えているよりは他の思考にリソースを割けるようになった。

週に1〜2回ある欲求の高まりにはさっさと自己処理である。大切に(まだ)とってあるお宝ハードディスクから速攻で選び、速攻で済ます。お宝選びに2〜3時間超もかけていた(ち⚪︎こを握りしめながら‥)過去が遥か遠くに感じる。余談であるが相当前から保存してあるお宝たち。保存した日付を見ると最新のもので2020年であった。保存した時点でそのお宝の制作年は少し過去のものであるからして、登場している方々はもうすでに結構な年齢に達しておられるであろう。そんな想いに駆られる今日この頃である。

話はずれたが、以前であればかなり高い可能性で風⚪︎へ出向いていたシーンやお宝探しに奔走していたであろう状況でも抑制できるようになっている。少し前にそういうところで有名な場所近辺で飲み会があり、早々と解散になった。多少懐も暖かく、行かない障壁はなにもない。が、「ここで費消するであろう2〜3万円で何ができるか」ということを考えると費用対効果としてかなりもったいないような気がしてきたのだ。おいしいものでもいろいろ食べられるし、いろんなものが買える。こっから家に速攻で帰ってとっとと自己処理してしまえば一瞬で解放されるからいいや、と早々と帰路についた。

また、このブログを開始する以前の悪習であったアダルトサイト徘徊は一切行っていない。「ネットポルノ〜」の本によると所持しているお宝も破棄すべしとあるがそこまではなかなか至っていないが。なんでも脳内でのエロ妄想も脳にダメージを与えるそうだ。エロ妄想が頭にうかばない人間が存在するのかどうか疑問ではある。

完全に遮断していた時期は目に見えて効果を実感したものの、高まる欲望のコントロールに難儀した。一方で現在の欲望にほどよくつきあうというやり方が自分には一番持続可能な気がする。もちろん、完全遮断と比較し劇的な効果を実感することはあまりない。そうやっているうちに欲望の程度がだんだん低下していっているのかもしれない。無理やり押さえつけると余計に欲求が高まることはこれまでの経験で痛感している。ただ完全遮断の時期で効果を実感した記憶は鮮明で、これまでであったらかなり高い確率でカンカンに立腹するようなシーンであっても平然としていられた。意識せずとも平常心を保ち、冷静でいられた。こう思い返すと完全遮断の劇的な効果は欲求不満のデメリットを大きく上回っていたのだなぁと思う。

前回の書き込みからかなり時間がたったのは、これまで記したように、安定期にはいったため書くことがなくなったからだ。そして久しぶりに上梓するには理由があって、ちょっとしたエッチなハプニングがあったのである。

このハプニングに関しては今回は長くなったので次回に譲る。

 

異常行動

反動による過剰摂取が起こってしまうことは過去のブログで書いた。意志の強い弱いは関係があるかどうかは不明である。

ただ長い期間、ネットポルトを摂取することを習慣にしていて脳に刷り込まれた快感を得ていた強固な回路は簡単には修正し難いのは度々言及している。

次第にではあるものの、刺激を求めて果てなくネットサーフィンをする毎日の習慣からは脱したように思える。次第に、と書いたが長らくそういう行為は行なっていない。

ただ、である。以前にも書いたが、欲求から完全に解放されたわけではない。一定の(やや過剰であるが)欲求は常にあるため、その解消や代替手段で迷走している。

迷走という言い方はやや上品すぎる。もはや離脱症状による異常行動ともいえる。

1週間のうちに2回風俗に行った。いずれも多量の飲酒後である。

1度目は泥酔状態だったため、嬢も察した感じであった。もちろん射精もできていない。いまでも気がかりなのはその嬢の口臭が常軌を逸していた点である。通常の判断能力であれば危機を感じてプレイの内容に反映する。しかしその時は相当酩酊状態だったため、その判断能力が完全に失われていた。

2度目も同じく泥酔状態だったが、飲酒から時間が経っておりやや冷静であった。厄介なのが、この2回目の嬢が”当たり”であったのだ。

容姿は決してランクインするようなものではなかった。低身長でやや太り気味である。’やや’ではないかもしれない。が、その全てを受け止めてくれる包容力が半端なかったのだ。もちろん、違法行為はしていない。っていうかできない。飲酒時はほぼ9割不能になってしまうためである。

容姿はともあれ、愛嬌が全てを打ち消す素晴らしさであった。ここに記すも憚れるような破廉恥プレイを笑顔で受け止めてくれる懐の深さ。その時も自分の冷めた部分は自分自身を冷静に見ていて、心のなかで「日々強烈なストレスの下で仕事をしている高級官僚が異常なストレス解消をしているよう」だと思いつつ興じていた。もちろん、重ねていうが違法行為や相手を行動にしろ言葉にしろ人として傷つけたり、人格を貶めたりするような行為はしていない。相手は内心どう思っているかはわからないが。むしろ自分自身を自分自身で貶めているような‥。

いずれにせよ、2ヶ月後の性病検査はマストであると備忘録も兼ねてここに記す。

1回目はともかく2回目の満足度は120%であった。懸念点は病気とハマってしまうことである。ハマってしまう点に関しては資金が有限な点がまだ歯止めになっていることもあるし、その嬢が鬼出勤であることがやや気になっていることぐらいか。

脱ネットポルノがテーマのブログが風俗探訪記のようになってしまっている。

 

続く副作用2

遮断も2日しか続かなかった。恐ろしいのは、アダルトコンテンツへの接触が欲望と禁欲の葛藤の末負けて、という流れではなく、普段朝起きて顔を洗って歯をみがくように、自然と深夜にPCを立ち上げ、せねばならない日課のようにStableDiffisionを起動し、素材を探し、生成していたのだ。途中でふと我に返りいかんと気がついた。

習慣とは恐ろしいもので、改めて中毒行動からの脱却がいかに困難であるかを思い知らされた次第だ。

もちろん、それ以来(3日くらい?)接触はしていない。前の投稿でも述べたがたかだかこのくらいで副作用に改善が見られるわけでもなく、相変わらずの状態が続いている。

とくに感情面での制御がうまくいかない。起伏が激しく、怒りや悲しみ、不安や落ち込みがひどい。

先日の休みの日、買い物の際にとあるモールの駐車場に車を停めようとしたところ、自分は店側に接した所に停めようとした。時間も早かったのでだだっ広い駐車場で他はガラ空きで店側に接した列も10台ぐらいあるスペースに1台だけ停めてあって、スペースを開けてその列に停めようとしたのだった。

すると車で後ろからついてきていたBBAがぴったりと自分の後ろにくっついてきた。止めるのにも支障をきたすレベルでだ。他の停めるところが遠かったり埋まっているのであれば理解できる。だが4〜5メートルも離れていない別の列はガラガラである。

BBAのこの発想は簡単にわかる。BBAは「1ミリでも店の近くに停めたい」のだ。この一点である。前後にいる車は関係ない。「前にいる車がもたもたしてんな、じゃあ別のとこにさっと停めよう」とは考えない。BBAに見えているのは前後にある車ではなく、店側の空いているスペースのみである。突き動かしているのは「1ミリでも店の近くに停める」の1点である。

自分はカーシェアの車で出かけていたため、不慣れで駐車に手間取っていた。しかし駐車中の車にジリジリと寄ってくるBBAの異様な距離感に猛烈に怒りが湧き、駐車途中の状態でBBAをガン見して微動だにしなかった。するとこれもまたテンプレのBBAの行動だが、そのBBAは猛烈な勢いで方向転換し、別な列に頭から突っ込んでキキーッと音もせんばかりに駐車した。もちろん、そこは一台も止まっていないガラ空きである。やればできるじゃないかの素早さである。なぜそれをはじめからしない。

なぜこれがBBAのテンプレかというとBBAの極端な行動は何回も遭遇した経験があるからだ。離合が難しい狭い道を車どおしでBBAと対面して、双方が譲りあえばギリいける幅なのでこちらはぎりぎり寄って譲歩したのに、BBAは寄せるわけでもなく停まったまま(固まったというほうが妥当か)なんとかしてよ、と言わんばかりにこちらを睨みつけてこられた経験がある。ただ少し車を寄せてくれれば双方行けるのに微動だにしないことに猛烈に腹が立って、こちらも微動だにせずガン見して動かなかった(とはいってもこちらはできる限りのことがしているので車を当てつつ通る以外自分のとる方法はないのだが。BBAが道の端に寄らない限り)。

そうしたらBBAもしびれを切らし、猛烈な勢いで脇を通りすぎていったのだ。やればできるじゃないか。なぜ怒りにまかせないと通れないのよ。少し寄せれば通れるのに。

一連のBBAの行動からは「人任せ(なんとかしてもらえるだろう)」「周囲の状況を把握(空間認識能力ともいう)するのが苦手」という点で共通している。駅の改札を出た直後で突然立ち止まるBBAといえばみなさんも理解してくれよう(これは若い人でもいるが。要するに後ろに人がいることを認識していない)。自分はさらにバージョンアップ版に遭遇したことがあり、駅のエスカレーターを降りた直後に立ち止まったBBAにぶつかりそうになったことがある。

また、自分がスーパーマーケットが嫌いなのは、進行方向と違う方向に顔面を向けてカートを押し歩くBBAに何回もぶつかりそうになり、一度はトラブルになりかけて店員に「この人がぶつかってきた」と冤罪をふっかけられそうになったことがあるのだ。お・ま・えがぶつかってきたんだろうが!軽いトラウマである。

コンビニのレジで並んでいるときに自分の番がきて会計が済んでから財布をガサゴソカバンから探し出す、などという行動も後ろに何人も並んでいることを認識していないのだろう。

かばんからガサゴソで思い出した。これも車に乗っているときだが、自分の前の車が青信号になってからも必ず20秒〜30秒ほど経って動き出していた。信号で止まるたびに、だ。不運なことに結構な長いルートでその車は自分の車の前を走っていた。

よくよく見たら、赤信号で止まる度に助手席のカバンらしきものを覗き込みガサゴソ探っていて、青信号になってからしばらく経ってハッと気が付き、長い髪を両手で掻き上げ(カバンを探るのに下向きになって髪が垂れているのを直している)、そこで初めて発車、という一連の行動を信号のたびに繰り返しているだ。青に気が付きすぐスタート、ではなく青に変わっていたことに気が付きいったん髪を両手でかきあげ視界を確保し発車、という一連の行動の繰り返しでその時には怒りというより大笑いしてしまった記憶がある。自分が認識した限りこれを4〜5回は繰り返していた。

枚挙にいとまがなく、BBAの行動観察日記になってしまった。だが圧倒的に害悪なのはジジイの方である。だいたい店員を恫喝しているのは99.9%ジジイだ。無人会計がいかに客を馬鹿にしているかと大声で女性の店員に文句を言っているジジイ、書店でも探し物を頼んでおきながらまだかと叫ぶジジイ、コンビニで喚き散らすジジイなど無数に見た。警察を呼べばいいのに。威力業務妨害で。しかし昔はこんなにいただろうか?気が付かなかっただけ?それとも貧しく憤まんを持っていきようのない老人が増えたのだろうか?裕福だったらこんな無駄なことにエネルギーを使わないだろうし。店員(弱い立場)に怒りをぶちまけるジジイは共通して裕福な身なりはしていない点が共通しているように思える。

 

 

 

このように過去の出来事の怒りが無限に湧いてくるという症例が自然と証明されてしまった。こんなクソ記憶は一刻も早く消去してしまいたいのに。いつになったら鷹揚な自分ができあがるのであろうか。

続く副作用

SrableDiffusionにハマっているここ1ヶ月間、楽しみが増えたと嬉々としていた一方で先の投稿の通り、その副作用がだんだんとひどくなっている。

日常の虚脱感がひどい。毎晩生成した画像で自家発電して体力を無駄に消耗しているわけではない。その頻度はむしろ少ない。が、素材をせっせと探し、その素材を元にパラメーターを調整し生成の繰り返しを毎日2〜3時間も延々とやっているツケ(ドーパミンの過剰分泌)が脳に重くのしかかってきたようだ。

ここ数日、過去の嫌な思い出が頻繁にフラッシュバックしてきてて辛い。不安と怒り、ネガティブな思考で脳が占められている。おまけに体がだるくてだるくてしょうがない。睡眠不足でもないのに。ここ数日はしっかり7時間前後は寝ている。不思議に睡眠には支障がない。

この1ヶ月間、「ドーパミン中毒」の冒頭に出てくる患者と同じような行動をとっている自分に気がつき可笑しくなったこともあった。

その患者は「おナニーマシーン」を自分で製造して中毒になってしまって、これじゃあいかんとマシンをぶっ壊した翌日に外のゴミ捨て場に捨てた粉々になったソレを回収しに行き、組み立て直して再び耽るという筋金入りの中毒者だった。

なぜそれを思い出したかと言うと、自分も一旦は苦労して環境構築したStableDiffusionを一度アンインストールして一切を消去した後に再インストール、面倒な環境構築をまた行ってまで執着してしまっているからである。おんなじ中毒患者の行動である。

あれだけ避けていたネット上の性的なコンテンツにも積極的にアクセスし出している。いわばこの趣味はこの一連の行為中ドーパミンをずーっと出しっぱなし、興奮しぱなしっていうことで脳が疲れないはずはない。

少なくともリアルで行動するP活などであれば交渉や駆け引き、品定めなど目的を達するためのハードルがあり(自分自身の見た目にも気を使うようになるだろう)、クリアするために知恵を必要とする。

自分のコレは出かけなくて、自分がどのような格好をしてようとも、何時でも、PCを立ち上げれば数分(画像を生成する時間が必要だが)で一気に目的を達することができる。何も考えなくていい。何も考えなくてもドーパミンを一度に、長い時間、大量に発生させているのだ。バカまっしぐら、である。

おかげさまで上記にあげた副作用に苦しむ日々だ。

自分自身を被験者として、ためしにこれから数日間はエロを遮断してみたいと思う。ただ「ネットポルノ中毒」にもあるように実際に効果を実感するのは完全に断ってから数ヶ月かかるんだよなぁ。長いよなぁ‥。

遮断している近況や心や体の変化をここに記したいがソレってこのブログのはじめからと同じ内容になりそうだ。Loopである。

反動、再発

なんだかんだと言い訳をしつつStable Diffusion を導入後、余暇の時間がほとんどが画像生成になってしまった。狂った猿のように画像を生成しまくっていた。

このAIによる画像生成は、プロンプトで指定した画像をAIが自動生成してくれる。AIの学習モデルを自力で作成することはできないので、学習結果のファイルをネットから落とし、インストールする。

初めの出力結果はかろうじて人間と識別できる程度だったものが、ネットで様々なプロンプトを学び、向上させていき、パラメーターをいじることで精度が高まっていくのが楽しくてしょうがなかった。

ネックといえば、精密な画像を生成しようとすると相当な時間がかかるくらいだろうか。それにしても架空の美人をいくらでも作成(とはいってもネット上にある画像から学習されたようなので、どこかで見た顔や体型が出てくる。こちとら相当数の画像を見ているのピンとくるものがあった。全く自慢にもならないが)

プロンプトによる生成はもちろん、画像イメージからの生成も可能と知ってから加速度的に精度が高まった。

素材となるものは相当数所持している(この辺りから問題になるのだが‥)ため、希望の衣装や体型、ポーズなどプロンプトで指定しなくても画像イメージに沿ったものを生成する。また、イメージにかなり近いものや遠いものでもパラメーターで調整できる。

この、溜め込んだお宝を探して気に入ったものを材料に新たな作品を生成するという夢のような作業。気がつけば2〜3時間は余裕で経過している。時間の経過が文字通り高速になる感覚。で後に残されたものは生成された画像群と虚脱感だけ。

そう、バカでも気がつくが、これは数ヶ月前のネットでポルノを漁っていた時と全く同じことをやっているのだ。違いはネットを狩猟し続けていることと自分で生成していることの違いか。

これが1週間ほど続いた。数十年の悪習慣は侮れない。誰がなんと言おうと完璧な再発である。

このままだったら副作用がくるな、という予想通り(夢中になりつつも頭のごくごく一部、ほんの一部だが冷静な部分があった)、ここ数日の副作用がテンプレ通りなのがもう笑えてくるほどだ。

虚脱感や思考の低下、もやがかかった感じ、だるさ、不安感が襲いかかってきている。家から一歩も出たくないし、なんなら布団からも出たくない。風呂はもちろん、歯を磨くのもだるい。当然世の中の動きや食事、読書にも関心が沸かない。関心が湧くのは画像生成の一点のみ。

一応ギリギリで社会生活を営んでいるので、普通の人が意識せずやっていることを気力をふりしぼってやっていた。一般社会に出ている時は何食わぬ顔で平気なフリを全力でしている。もちろん、そのような普通のことに全力なのでリソースを他に振り分けることもできるわけがない。判断や決断等の高度な思考が伴うことはほとんど残念な内容になって、そのことも後悔や無力感、この世から消えてしまいたい感を加速する悪循環である。

自分のケースに関して言うと、手軽な欲求解消と快適な普段の生活はトレードオフだということを強く感じた次第だ。まあこれは人それぞれだとは思う。ただ自分の場合は強く意識しておきたい。

また一からやりなおしである。

弁明

chatGPTがすごい。と、改めてここで言及せずとも凄いことが既に世の中で飽きられている感がある。活用方法を発展させて、ホント凄い、と驚き続けている人といったいこれが何に使えるの?という人との二極化がSNSなどで散見される。

自分も使ってみたのだが、何に驚いたかというと日本語の解読力である。あいまいな表現や同音異義語など世の言語の中でも難解といわれる日本語をいとも簡単に解釈し、回答を示す。

こういったAIの進化の波に乗り遅れまいと、AI画像生成に手を出しだした。

のっけから言い訳になる。本ブログの主旨、『「インターネットポルノ中毒」からの脱却』はどういう理由からか、ということを常日頃から反芻していて、常に悩まされていた「虚脱感」「ブレインフォグ」「不安感」「絶望感」などの気分障害の原因は、ネットから簡単に手に入る脳への強い刺激が神経を害しているためで、脱するためには遮断するしかないということを改めて記す。

じゃあ、簡単に手に入らずに欲求を満たすにはハードルを設ければいいのでは?とわざわざ風俗に出向くなどした。

一時期は収まったものの、ネットポルノを見たいという気持ちは中毒なのでそうそう簡単にはおさまらない。代替物では即効性はないようだ。高い金を出して置いて代替物もないが。また、どちらが健全かというとどっちもどっちだという意見は一旦置いておく。

過去に海外のサイトでお宝画像集を発見し、その枚数とクオリティに狂喜乱舞、ひとつひとつ丁寧にコピーしていた。だが数百枚、数千枚あるその画像を手作業でコピーし続ける作業に好きとはいえ根をあげ、泣く泣く中断した。しかしそのお宝はいつ消失してしまうかわからない、けれども手作業では途方もなく時間がかかる。どうしたらいいか本当に考えた。考え抜いた。その結果、プログラムで自動的にコピーできないだろうかという結論に達し、ネットで調べ上げ、pythonスクレイピングという便利な機能があることを発見、さっそく見よう見まねで本体や必要なライブラリ群のインストールなど実行環境を構築し完成させた。やり遂げた瞬間はまるで自分がアイアンマンを完成させたトニー・スタークになった気分だった。誰かに自慢したかったが内容が内容なだけに誰にも言えないもどかしさ。ちなみに自分はノンプログラマである。

先日その感動とモチベーションをふと思い出したのだ。何かそこまで駆り立てるのか。なお、そこで得たpythonのスキルは現在でも仕事でPC上の単純作業等に生かしている。

快楽を司る脳の部位に電極を差し込んだラットはその電極に電気が流れるボタンを死ぬまで押し続ける。同様、ポルノサイトでクリッククリックし続けて刺激を受け続けるのが害なのであれば、難しいことをクリアしてやっと手に入れれば問題ないのではないか?

と自分に言い訳し、じゃあ最新のAIを活用しよう!となったのである。この活力を仕事や社会に還元する方向に向かわせる性質であれば、自分は今ここにいなかったかもな、と笑えてきた次第である。

長くなったので次編に続く。